日本の貧困と学術会議(会報5月号「主張」)

 先日橋下徹氏が日本学術会議の在り方会議の方針決定に対して「仕送りを受けているろくでもない学生と同じ」と評し、SNSに投稿していた。安倍政権から連綿と続く学術会議に対する政府の対応は、まさにこの発言に集約されている。学問に対する見識も敬意も畏怖も無い、自然の摂理を理解しようとしない人間の傲慢さが表出されて哀れにさえ見える。私はかねがね医学は科学であり、医師は医療に携わる科学者であるべきと考えている。科学者は、素晴らしい様々な学問を追求し自然の不思議を解き明かそうと考え、ともすれば神の領域と考えられるところまで思いを巡らす。そしてその過程で神の御心の一端が垣間見られたと感じた時、至上の喜びを感じ幸せを実感する。それ故日本学術会議は、科学を極めることが己の業(幸福?)と受け止め極めようとした者が集い意見を述べ、国内外に発信する日本を代表する機関であると受け止めている。「仕送りを受けているろくでもない学生」と思う心が、私はかわいそうでならない。
 学問はこの国の基盤を作る最も重要な要素の一つである。昨今の我が国の国力低下を見るに、私が学生時代、国内の名だたる大学が世界で5本の指に入っていたが、最近30位にも入らないほど低下してしまった現実は、理解に難くない。学問を蔑ろにしたツケが回っているのであろう。各学問の求道者の集まりが政府の思うように動かない。それが、「仕送りを受けているろくでもない学生と同じ」と見えるのである。そもそも学術会議の推薦メンバーの選定に対して政府が行うことは「形式的任命」に過ぎないとされていた。それが菅政権の時にあからさまに人事介入したことが問題になった。ここに至った状況に時の政権の傲慢さが見て取れる。長期政権で権力を振りかざすことが出来ると勘違いしたのか? 政治が劣化するとはまさにこのことだ。政治家が自分の信じる「正義」に忠実であることは重要な資質である。どのようなイデオロギーを持っていても自分の理想とする国家観を持たなくてはならないし持たないものが政治家になるべきではない。ましてやそのイデオロギーのために事実を捻じ曲げては絶対にならない。事実認識すらまともに出来ず、自分の信念に寄せることで事実を捻じ曲げる。そのような輩は政治家である資格はない。
 今この国は、長期にわたる経済政策の失敗の立て直しに必死である。そのため何が何でも国民を管理しようとしている。医療DXの1丁目1番地と位置づけ、マイナ保険証を全国民に持たせようとしている。消費税によって国民から多額の税金を吸い上げているのに、取りこぼしの無いようマイナカードを義務化しようとしている。マイナ保険証に統一してから半年が過ぎても相変わらず不具合が頻発している。とうとう75歳以上の後期高齢者には資格確認書を全員に配布することになった。現在マイナ保険証で確認が出来ない場合を考慮して資格確認書を持参させる動きも出ている。マイナカードから保険証情報を解除する動きは各地で起こっている。本当に必要ならば国民が安心して使えると思うようになるまで努力するべきである。
 今政府は7月の参議院選挙に向けて必死に国民受けを狙った政策を打ち出そうとしているが、財源を盾に減税だけは絶対にしないという。特に消費税は社会保障に使われているためだというが、いくら消費税を増税しても社会保障は後退するばかりだ。税金に色はついていないのだが、財源を盾に平気で詭弁を弄している。
 政治を司る者達は常に数十年先、数世代先を見据えて政治を行っていかなければならない。そのためにはたとえ資質に欠けた政治家達が多くいたとしても、先見の明を持ち、他者に的確に展望、見識を伝えられる者がいなければならない。そしてこの国を素晴らしい国にする大きな理想を掲げなければならない。決して「美しい国日本」でも「楽しい愉快な国日本」でもない。そう思う。(山口県保険医協会報2025年5月号「主張」)