私たちからの訴え

社会保障を取り巻く根深い問題~手をつけるべき問題はどこなのか~

 社会保障費の削減、地域医療構想、かかりつけ医制度、専門医制度改革、頭の痛い問題ばかりが山積している。
 社会保障費とは、医療、介護、年金、子育て支援を大きな柱としている。特に医療は目くじらをたてられ易いが、実際には年金の方が社会保障費に対して大きな割合を占める。1970年は、社会保障費に占める年金の割合は24・3%で、一方の医療は58・9%を占めていた。1980年に、年金42・2%、医療43・3%とほぼ並ぶ。2014年の時点では、年金は社会保障給付費の48・6%(対GDP比11・2%)を占めるようになり、医療費は32・1%(対GDP比7・4%)となっている。さすがに年金を削減することは、選挙の票に直結するため、政治家主導で削減を提案することは不可能であろう。医療費については、実際に病気になるその瞬間まで、『自分は大丈夫』と考えるのが人の常なので、議論は噴出しても、票数に影響はない。今後も医療費の増大を敵と捉えた報道や選挙活動は続くであろう。医療者は、そのようなことは関係なく、目の前にいる患者の苦しみを和らげるために自分の能力のすべてを注ぎ込むだけで、日々が飛ぶように過ぎていくのが実感であろう。
 ちなみに、総保険医療費支出(医療費に介護や公衆衛生サービス、予防医療など全てを加えた支出)は、1985年にはGDPの6・1%であった。これが、2016年には11・2%と増大している。OECD加盟国の平均は9・0%であり、日本は、米国(16・9%)、スイス(11・5%)に続く3位で、ドイツ(11・1%)、スウェーデン(11・1%)、フランス(11・0%)がそれに続く。先の純然たる医療費の対GDP比は7・4%であるが、実際には医療にかかわる費用が国民の経済活動の1割の規模に及ぶわけだ。もはや、かつての『安い費用で高度な医療を提供している』とは言えない時代になっている。
 医療の高度化、高齢化を止めることはできないため、国としては、現在ある医療資源をどう効率化するかが命題となる。『効率化』とは、一種の取捨選択であり、高齢者への分配を抑制し、若い世代に分配率を移行する、というのが現政府の方針である。地域包括ケアシステムは、高い医療から安い介護への経済的移行が目的だが、現在医療が担っている部分をそのまま介護に移行することは難しい。机上であれば、『医療が必要ない状態の患者は、介護に行けばよい』となる。しかし、実際には、そこにいるのは血の通った心を持つ人間で、簡単にはいかない。若い世代の家族が遠くに住んでいる中、高齢者夫婦のいずれか一人が生活できない状態になると、「心配だからまずは病院でしっかり診て欲しい」と病院へ搬入されることになる。施設が直接受け入れることはあり得ない。施設においても、看取りまで行うことを国が期待していても、少しでも状態が悪くなると、遠方に住む家族としては、「正月に会ったときは元気だったのだから、きちんと病院で診てもらいたい。またきっと元気になってくれるはず・・・・・・」と祈る気持ちになるのは当然で、結果、病院へ緊急搬送されることとなる。
 現在の我が国の家族構成(高齢核家族化)、死生観、低貯蓄世帯割合の増加などから考えると、大都市以外の地域では、医療機関が社会的困窮者を受け入れる大きな受け皿になってしまう状況が当然と思われる。国の示す、都道府県別療養病床の年齢調整入院受療率のグラフがそれを如実に語っている。診療報酬や介護報酬の変更で、無理やり患者(ひと)のポジショニングを変更するよりも、家族のあり方や、企業のあり方、社会のあり方、行政の関わり方、幸福の指標、死生観のあり方、そういった所を構築しなおすことが、この難病を治すための処方箋であろう。『党の公認問題には、議員の生活がかかっている』などと言っているようではお仕舞である。国を動かす立場にある人間が率先垂範し、単なるハコモノや小手先のルールでは無い社会基盤を築いていくことが急務だと思われる。