私たちからの訴え

保険医協会の存在意義

 私が保険医協会に入会した理由は、開業して医師会に入会することが当然だったように、保険診療をする保険医となったからには、保険医協会に入会するのが当然だと思っていたからです。従って、保険医協会がどういう組織なのかは全く理解していませんでした。入会後も、診療報酬説明会でお世話になる位で、送られてくる協会報や保団連の月刊誌も、未開封のままごみ箱入り、という状態でした。
 支部の幹事になってからは、幹事会に出席し、事務方作成の豊富な資料のお陰で色々と勉強させてもらいました。この度理事に任命され改めて保険医協会という組織について考えてみました。
 全国保険医団体連合会(保団連)は、各都道府県に設立されている保険医協会が加盟する全国組織で、2大目的として〝開業医の医療、経営を守ること〟及び〝社会保障としての国民医療を守ること〟を掲げ運動している。会員には出版物等を通じ、診療所経営の支援や税務への助言を行っている。医科・歯科が一体の運動を行っているのが特徴で、勤務医を対象にした活動や、休業保障などの共済事業も行っている。
 その設立の歴史は、戦前、医療は自由診療であったが、戦時中に健康保険法・国民健康保険法が成立し、医師は保険医になれば医療行為に対し保険者から診療報酬を受け取れるようになった。戦後、低医療政策を採用した政府に対し、解体・再編された日本医師会(日医)は妥協的であった。これに対し、戦地や外地から引き揚げ開業した医師らを中心に、政府に有効な政策を要求すること及び保険医の地位向上を目的とした団体が各地に設立されはじめた。
 1948年に社会保険診療報酬基金が設立されると、支払いの遅延や基金・厚生省当局による診療報酬明細書(レセプト)の審査を巡り各地の保険医団体がその不当性を訴えた。このような中、大阪府保険医連盟(1947年設立)が1949年大阪府保険医協会と改称し、京都、愛知、北海道と広がり、全国に保険医協会が設立されていった。さらに、1961年武見太郎会長率いる日医が、保険医総辞退を掲げ診療報酬引き上げを迫りながら政府と妥協したことにに不満を持った開業医が、様々な保険医団体を結成した。その連絡組織として1962年全国保険医団体連絡会(保団連)が結成された。当初緩やかな組織形態であったが、1967年健保特例法阻止運動を契機に、全国の運動を束ねる中央組織が必要とのことで、1969年全国保険医団体連合会(保団連)が結成された。
 このような設立の歴史を振り返れば、その時々の情勢に危機感を持って活動された先輩方の姿に敬意を表したいと思います。現在の保険医協会の活動・思想が、時に日医とは少し違う視点であることも理解できました。医療が国の医療政策の上に成り立つ以上、政治とは切り離せないとは思います。日医も職能・学術団体ということで、政治活動は日本医師連盟という別組織で、との建前で活動しています。歴史的に政権与党支持となっていますが、医師個々人の思想・信条、支持政党や支持組織は様々だと思います。
 我が保険医協会会員各人も当然、その政治信条は様々です。保険医協会は設立の経緯からも、政権与党と距離を置く傾向にあったとは思いますが、設立目的としてかかげる、〝開業医の医療、経営を守る〟及び〝社会保障としての国民医療を守る〟ことに徹して活動していくべきだと考えます。
 消費税問題や、マイナンバーカード、遠隔医療、医療ツーリズム、患者負担の軽減など、現在協会が問題として取り組む課題は様々ですが、少子高齢化と人口減・財政難の構造的問題の中、解決の道は険しいものがあります。
 勿論、〝戦争がなく平和である事〟が大前提ですが、我々の医療経営と、社会保障・国民医療の向上の為、協会として団結していくことを願います。

(2019年10月)