私たちからの訴え

おかしいことには「おかしい」と発信しなければならない

 『ドリーム』という映画がある。アメリカの宇宙開発を旧ソ連と切磋琢磨しあってアポロ計画まで発展させた、その礎を築いた科学者達の話である。ただ、普通の映画と違っているのは、その科学者達を陰で支えてきた人々が黒人女性であったことである。素晴らしい能力を持つ彼女たちがただ黒人というだけで、職場からトイレから、もちろん待遇から全てにおいて差別を受け、著しく虐げられた環境で仕事を行っていたのである。能力があるにもかかわらず重要な会議にも出席できない、資料に責任者としての名前すら記すことも許されない。本当にこんなことがあったのかと信じられない内容であるが、このような話は現実のものであると聞く。今でも特定の地域に入ると状況は変わらないようで、LAでも夜、黒人が一人で歩く時はきちんとした服装でないと白人に絡まれたり事件に巻き込まれたりする。警察でさえも言いがかりをつけてくる。ちゃんとした服装というのは、スーツではなくてもジャケットを着てネクタイを締め、ジーンズやスウェットなどではなくパンツ(スラックス)に革靴を履いていないと安心できないというのである。アメリカは白人が「権力」を持っていると言われている。
 最近「権力」という言葉を思い知らされる事例を嫌というほど見聞きする。「権力」を持つものは平然と嘘をつき悪事を働く。言葉使いは丁寧であり、聞き心地がよい言葉、フレーズを多用するが、力を持たないもの達を平気でいたぶり、無視し、虐げ、服従させる。現米大統領は自分の選挙にロシアの協力を得ていたことにしらを切っている。女性へのセクハラを「やっていない」とし、ウラでは金で解決しようとする。調べようとする国家機関を平気で機能不全に陥らせる。取り上げるメディアを嘘つき呼ばわりする。同じようなことが我が国でも起こっている。
 これだけ平気で嘘をつき、「権力」に胡坐をかいている者たちが闊歩している世の中を、今まで見たことがない。どれだけ証拠を挙げても「そんなモノは見たこともない。全て破棄した、処分したのでわからない、言ったはずもない。そんな人に会ったこともない云々……」平気で公文書も改竄する。破棄する。自分の声も他人の声だという。言葉遣いも恐ろしいほど品が無い。また、反社会勢力との関係を平気であからさまにし、さらには恫喝する者たちが平然と表に出てくる姿に背筋が寒くなる。こんな人達が要職に就き「権力」を握っている。「私達は、こんな人達に負けられないのです」。そう、こんな人達に……。
 「最近、あまりニュースを見なくなった」という声を聞くことがある。メディアが政府をほどほどに叩くのは昔からのことであり、世の中おかしな事件や事故、災害があるのもそんなに珍しいことでは無い。しかし、最近の異常な気候や災害は今まで経験したことがないほど恐ろしい。同様に「権力」を持つものが、あからさまにその実態の片鱗を見せつけている姿に心底ゾッとしてしまう。そんなおぞましい様相をメディアで見るにつけ、ウンザリしてしまうのではないだろうか。
 「おかしいと思っているのは自分だけかも知れない」、そう自問することも大切なことではある。消費税もマイナンバーも原発もTPPも正しいのかもしれない。しかし、おかしいことは「おかしい」と発信しなければならない。何かおかしい。この引っ掛かるモノは何なのか。少なくとも、それが納得できるまで、疑問の声を上げ続けることが必要ではないだろうか。そのためには信頼できる所からの確かな情報を得ることも重要となる。地域医療構想、地域包括ケアシステム等もしかりである。
 それは決して、医者や医療のためだけではなく、医療を受ける人達のために必要なことである。

(2018年8月20日)